看護師

石川恵己

石川 恵己(精神看護専門看護師)

皆さんは、ケアをする上で何を大切にしたいですか?私は、いつからか「患者さんやご家族をさりげなく見守り続ける伴走者でありたい」と思うようになりました。医療を必要としない状況が理想ですが、精神科を受診される方は経過が長いことが多く、病院での出会いはその方の人生の一時期に過ぎません。同じ病名でも体験していることは異なり、かなり個別性があります。その人の心のありように関心を向けながら伴走していくという姿勢でありたいと思っています。さらに、複雑で困難な状況に置かれた患者さんの場合、難しい状況であるほど、スタッフに諦めや無力感が生じる可能性もあります。精神看護専門看護師は、そのようなケースの実践や相談に応じたりします。この資格を取り数年経ちましたが、まだまだ毎日が勉強です。今後もケアする側の健康も守りながら、さらに一歩進めるように、知識を共有したり、一緒に挑戦したり、研究的な視点で日頃のケアを振り返ることができるように関わっていきたいと思っています。

こころに響いた話

工藤好暁

工藤 好暁

当院へ入職後、スーパー救急病棟を経て訪問看護ステーションアイリスへ異動になりました。異動後2年が過ぎますが、精神科に特化した仕事に変わりはないですからあまり違和感はありません。むしろ楽しく働いております。単純に天井が無いから良いのでしょうね、何事においても。どこまで走っても空は無限で、季節の変化は五感をダイレクトに介して降り注いで来ます。シンプルに気持ち良いですよ、ありのままで。自然の中に生きてるのが人間ですから。訪問先では、病院時代よりじっくりと利用者ご本人やそのご家族と関われます。ゆえに利用者様のペースの中で看護師として生きていくことが出来ます。利用者様も私も何か誰かに追われるような気持にはなりません。お互いにゆっくりと今現在に向き合い、過ぎた過去への後悔や見えない未来の不安よりも、今を一緒に感じて笑えるように時間を共有しています。その次のお宅も、またその次も。移動中の車窓からは、私自身失われた眺めを取り戻せる予感がして来ます。訪問看護では、各関係機関との関りも重要です。地域の皆様と天井知らずの夢を追いかけられるよう共和会で培った楽しさや社交性を用い、地域が楽しく共働し、優しく助け合える風土を盛り上げていきたいと思います。

野中美香

野中 美香

入職してもうすぐ4年目になろうとしています。私はたくさんのことを経験することができました。その中でも、家族支援に関われたことは大きな事です。患者さんを支える側の家族と話し、サポートしていくことで家族の思いを知ることができます。その思いを病棟での看護に役立てたいと思っています。大変だなと思うこともありますが、周りのスタッフに日々助けられ頑張れていると思います。これからも明るい職場で、楽しく看護をしていきたいと思っています。

中嶋弘志

中嶋 弘志

就職して20年経ちました。共和病院は人間関係が良く働きやすいため長く続けることが出来ました。また、この10年間で共和病院の提供する看護の内容もとても変わったと思います。10年前は退院支援で何をやっていけばいいのかよく分かりませんでした。今では長く入院していた患者様も退院します。また、自分が提供する看護の内容も多職種の方と協働やカンファレンスすることで、どんどん変わっていくことが実感できました。そういった変化が実感できるところが楽しい病院だと思います。

坂野菜穂子

坂野 菜穂子

私は4月に新卒で共和病院に入職をしました。配属先は急性期の閉鎖病棟ですが、精神疾患以外にも身体疾患をもった患者様もいて、様々な視点で幅広い看護を行っています。新人教育に関しても、ラダー研修や病棟内での勉強会も企画されており、新人教育も手厚いと感じています。今後は、幅広い知識を持ち合わせ、患者様の個別性に合わせた看護を提供していきたいです。

谷亜紀

谷 亜紀

私は一人目出産を機会に働こうと思いたち、自宅から近く、また院内に保育所のあるこの共和病院に勤め始め、その後2人目、3人目を出産して、あっという間に月日が流れ、現在17年目となります。17年間の間にいろいろと子育て、家事、仕事で悩んだ際、周りの職員に相談にのってもらい仕事をしてこられたと思っています。また、患者様と話をすることでストレスが解放されることもあり、私は良い人たちに恵まれてきたと思います。いろいろな事がありとても楽しい職場です。

マリアナ

マリアナ

私は、2009年に初めて日本に来ました。その時は、日本語が全く喋れなかったが病院で毎日患者さんやスタッフと少しずつ会話しながら、どんどん日本語がうまく話せるようになりました。毎日仕事しながら日本語と日本の国家試験の勉強し大変だけど、やっと3回目の国家試験で合格をすることが出来ました。その後、看護師として日本の病院で働きました。2014年に結婚の為一旦帰国し、その後しばらくインドネシアで暮らしていました。こころの中にいつかまた日本で働きたいと思いながら、今年やっと家族三人で日本に来られるようになりました。育児しながら仕事することはとても大変だけど、頑張りたいと思います。今年の4月から共和病院で働いています。C2病棟はいい雰囲気で働きやすいです。

鈴木拓哉

鈴木 拓哉

当院に入職して3年目を迎えます。1年目から看護師として働く予定だったのですが国家試験に落ちてしまい1年間ケアワーカーとして働かせて頂きながら再度国家試験の勉強をして2年目より看護師として職を新たに勤めさせて頂いております。私が当院に入職を決めた理由として、学生時代に精神看護に興味を持ち精神科のある病院で働きたいと思った事がきっかけです。その中でケアや技術を学ぶ上で内科のある病院は無いかなと探していたときに、一度授業で見学に訪れたことのある共和病院が浮かびました。見学に来た際や学校に授業に来て下さった看護師の方の雰囲気がとても明るく、楽しそうな印象を受けました。現在私は、希望だった医療療養病棟に所属させて頂いています。日々、様々なことを学ばせて頂き手技、技術、コミュニケーション等について先輩方からご指導、ご鞭撻を頂いています。はやく自立ができるように頑張っていき、患者様、ご家族に信頼される看護師になりたいです。

加藤陽香

加藤 陽香

入職してはや3年目になりますが、途中出産や育児休暇を体験し復帰しました。現在は育児短時間制度を利用し、内科外来に勤務しています。内科外来では、内視鏡検査、訪問診察の同行など、様々で未経験のことが多いですが、しっかり教えてもらうことができ、できる業務も増えてきました。また休みがとても取りやすく、子供の保育園の行事に参加することができ、子どもの成長を垣間見ることができます。「外に出て仕事がしたい」「子育てもしたい」私にとってはとても充実し、とても適した職場環境で、無理なく楽しく働ける職場です。

渡邉美紀

渡邉 美紀

私は、共和病院へ入職し1年4ヶ月が経ちます。仕事と子育ての両立に悩んでいた頃、友人の紹介で共和病院の働きやすい職場環境を知り、入職を志願しました。共和病院は、ライフ・ワークバランス推進企業として認定を受けています。実際、子育てには理解があり、休暇も取りやすいです。また、残業もほとんどありません。中途採用職員への教育支援も充実しており、子育てをしながらスキルアップも諦めずに取り組める環境です。私は、現在精神科外来で勤務しています。精神科に携わるのは初めてのことでしたが、新しい経験を積ませてもらい、やりがいを感じて仕事ができています。

松下ゆかり

松下 ゆかり

私は新卒として就職して2年目になります。当院の一番の良さは、人間関係であると日々感じています。病棟内で自然と「なにか手伝えることありますか?」とお互いに声を掛けあえる雰囲気があり、分からないことがあると丁寧に教えて下さります。私はまだ先輩に助けられてばかりですが、経験を積んで同じように周囲に目を向け、声をかけられるような看護師になりたいです。

原田梨沙

原田 梨沙

私は今年の4月から入職し、現在2ヶ月が経過しました。久しぶりの病棟勤務であり入職直後は不安もありましたが、スタッフのみなさんとても優しく、また院内研修も充実しており、しっかり学べて安心して業務が行えます。病棟では月に一回のレクリエーションで季節に応じたイベントを行っており、患者様も楽しく過ごされています。患者様もスタッフも笑顔が絶えない明るい病院です。共和病院に入職し、充実した毎日を過ごすことができています。

精神保健福祉士・社会福祉士

門みゆき

門 みゆき

私はソーシャルワーカーとして勤務しています。子供が保育園に入所できず前職を退職した頃、「共和に来ませんか?保育所も使えますよ。」と声をかけてもらい入職しました。子育ての悩みは尽きませんが、職場が家庭事情に配慮してくれ、色々な人が話を聞いてくれるので、すごく救われています。ソーシャルワーカーは患者様を生活者としてみて関わりますので、これからも自分の生活の経験値を上げ、よりよい支援につなげていきたいと思っています。

介護福祉士

北村 守

北村 守

私は、認知症病棟、精神科療養病棟、内科療養病棟などを経て、精神科療養病棟で勤務させて頂いております。この病院の「優しい医療、楽しい職場」に惹かれ、入職し、気がつけばあっという間に15年がたちました。初めはとまどいや不安もありましたが病院の雰囲気も良く、周りの先輩方に恵まれ、何とか乗り越える事が出来ました。こちらの病棟では看護師さんと一緒になり、患者様のケアに取り組んでいます。精神科の病棟ですが寝たきりの方や、介助が必要な方も多いです。時には心が折れる事もありますが、忙しい業務の中で患者様の関わりを通して、毎日人間的に成長し、楽しく仕事が出来ていると思います。これからも患者様の心のケアを大切にし、一人一人の気持ちに寄り添う事が出来る立場でありたいと思います。

クラーク

佐竹萌

佐竹 萌

私は、医療の業界は未経験でこの共和病院にクラークとして入職し、5ヵ月ほどが経ちました。入職当初はわからないことだらけでした。その上クラークは病棟に自分1人しかいないため、とても不安でした。そんな時、別の病棟のクラークさんが丁寧に教えてくださったり、看護師さんが「いつもありがとう」と言ってくださったり、周りの先輩方に助けていただいて頑張ることができています。入職したての頃は患者様から「お姉さん」や「そこの女の人!」などと呼ばれることが多かったのですが、最近は名前で呼んでいただけることが増えてとても嬉しいです。また、残業がほとんどないため、仕事とプライベートのメリハリをつけて働ける点も共和病院の魅力だと思っています。家庭をもつ女性でも働きやすく、長く勤めていきたいと思える職場です。

榊原純子

榊原 純子

私は中央材料室で医療器材の洗浄・滅菌業務や在庫管理をしています。私の部署は1人部署の為、当初は毎日学ぶ事だらけで不安でした。時に弱音を吐いたりする事もありましたが、その度に他部署のクラークさんや上司の方々が話しを聞いてアドバイスを下さり、励まし助けてくれました。共和病院の理念に「優しい医療・楽しい職場」と言う言葉があります。この楽しい職場の言葉には、日々職員同士のあいさつが出来ている事で、同僚や上司・他部署の職員とのコミュニケーションが取りやすく、私の様に困って悩んでいる事が、同僚や上司へ相談しやすい環境を作っているのだと感じています。優しい医療をめざしている共和病院は、患者様にも患者様のご家族様にも、もちろん!職員にも優しくできるのだと私は感じながら、日々仕事をしています。そんな共和病院が私は大好きです。皆様に少しでも共和病院の温かさが伝われば幸いです。

放射線技師

須藤雅俊

須藤 雅俊

私たち診療放射線技師は、主にエックス線を使って様々な検査をし、病気やケガの診断・治療に役立つ画像を提供する仕事をしています。私たちが行なう検査は、体の状態が思わしくない患者様へも身体的に無理なお願いをする事が多くあるため、患者様にとっては辛いことだろうと思います。ですから私は、できる限り患者様の気持ちに寄り添うことを大切にしています。不安や疑問に思っていることがあれば、緊張せずに話しかけてほしいと思いますので、常に患者様の目線になって検査の説明をしたり、何か訴えがあれば、できる限り向き合うように心がけています。しっかりと患者様とコミュニケーションをとって検査ができた時には、感謝の言葉をいただけることもあり、そんな時にはこの仕事にとてもやりがいを感じることができます。身につけるべき知識や技術は山ほどあるので、確実に向上させ患者様のためにどんどん還元して行く事、その上で最大限よい医療の提供をするために安心感や満足感を与えられるような診療放射線技師を目指していこうと思います。もし何か気になることあれば気兼ねなく話しかけてください。

作業療法士

朝倉起己

朝倉 起己

複数の資格 ≠ スーパーマン < チームワーク
「作業療法士に加え、精神保健福祉士でもあるんですね。」名刺交換をする時によく言われる言葉です。私は平成11年に作業療法士、平成17年に精神保健福祉士の免許を取得し、名刺には両方の資格を挙げています。「作業療法を実践しながらソーシャルワークも用いたい」と考えたのは、就職1年目のことです。患者様を精神科特有の閉鎖された空間(院内)のみでなく、もっと地域の社会資源を用いてリハビリ・援助していくことが重要だと思ったからです。作業療法士と精神保健福祉士の両方の知識があればそれが出来る!と思っていました。今となっては「青かったなぁ」とちょっと恥ずかしい思いもありますが、複数の資格を持っていようとスーパーマンにはなれないし、一人の力でできることは限界があるのです。病院には作業療法士や精神保健福祉士以外にも医師・看護師・薬剤師・心理士・栄養士・事務職員等々の様々な職種が居て、チームワークを発揮して患者様への治療やリハビリをしています。チームワークとは、「同じ目標に向かって、異なった能力をもつ者たちが、知恵と力を合わせて協働すること」です。自分一人ではできそうもない場合にも仲間の力を借りれば解決できることもあります。もちろん患者様もチームの重要な一員です。これからの医療・福祉は病院が抱え込むのではなく、病院のある地域性を考慮し、また患者様の住んでいる(また今後住む予定の)町ぐるみの支援、地域に根ざした、その地域を利用した支援が必要だと強く感じています。その実現のためにチームワークが必要です。一人でやった方が早い…ってこともありますが、多くの場合はみんなで力を合わせて取り組んだ方が効率的かつ効果的です。スーパーマンよりもチームワークが重要と思います。これからもチームでお互いに支え合い、声を掛け合いながら同じ目標に向かって患者様のリハビリに寄り添っていきます。

久留宮なぎ砂

久留宮 なぎ砂

私は、発達障害の方を対象に作業療法を提供する業務に携わっています。入職前は、幼児期から学童期の方を対象にダイナミックな遊具を使って作業療法を行ってきました。環境が違うことは最初からわかっていたのですが、入職してからダイナミックな遊具はなく、それまでと同じ治療スタイルで取り組むことは難しい環境でした。悩んだ末、これまでの治療スタイルを一旦封印しました。当院で取り組める治療技法を模索し、アセスメント力を磨くことができました。また、病院の色々な関係者の方に助けていただきながら、運用システムが構築されました。このシステムのおかげで、治療意欲の高い患者様やご家族に巡り会うことが多くやりがいを感じます。患者様が楽しく作業療法に参加される姿を見ると、嬉しくなります。「もう一回やりたい!」と言われる瞬間がたまりません。最近は、院内業務の他に訪問リハビリとして自宅や職場、教育機関での作業療法、福祉施設でのコンサル業務にも従事しています。活動場所によっては、封印した治療スタイルを解き放つときもあります。当院に入職して『一皮むけた!』と感じています。当院は、新しい取り組みに対して手を指し伸ばしてくれます。患者様のために行うことが病院のため、地域のためになり、それが自分の仕事に対する楽しさに繋がっています。

村上愛里加

村上 愛里加

私は、作業療法士として初めての職場が回復期病院だった為、精神科は共和病院が初めてでした。前に勤めていた病院とは方法やシステムが違うことが多く慣れない部分も多々ありました。しかし、先輩方が丁寧に指導してくださり、業務に慣れるのも早く安心して仕事が行えるようになりました。また、先輩方と相談や意見交換がしやすい雰囲気なので、担当業務のマニュアルなど一緒に検討し作り上げていくことが出来る環境です。そのため、患者様へもしっかりと対応ができ、毎日充実して仕事が行えています。その他には、残業も少なく家事やプライベートの時間も作りやすく長く働ける環境なのですごくありがたいです。本当に就職させていただき良かったと思っています。これからも患者様や病院に貢献できるように勤めていきたいと思える職場です。

古橋雅美

古橋 雅美

「作業療法士(OT)」と聞いて、どんな仕事を思い浮かべますか?「レクを提供する人?」「外出に連れて行く人?」「病院行事を行う人?」それくらい作業療法士の仕事は分かりづらいと思います。 そもそも「作業」って何でしょう?「物を作ること?」いいえ、違います。日本作業療法士協会の定義では「日常生活の諸動作や仕事、遊びなど人間に関わるすべての諸活動をさし、治療や援助もしくは指導の手段となるもの」とされています。要するに、患者様が取り組まれた塗り絵などの作品はもちろんのこと、日常生活における行動や発言といった「作業」全てを評価、分析し、治療や援助を行っています。 現在、当院には、作業療法課7名、デイケア課2名、そしてリハビリテーション課に、主に身障分野で患者様の援助に当たっている1名の計10名が在籍しています。患者様の状態に応じて集団や個別を使い分け、話し合いや遊び、休息を取り入れたプログラムの中で、ラポールを形成しながら、普段の生活ではなかなか見られない患者様の一面を鋭く観察し、熱い気持ちと様々な知識、手段で治療につなげていく。それが私達作業療法士の仕事なのです。

川澄沙恵

川澄 沙恵

入職して1年が経ち、2年目からスーパー救急病棟を担当しております。以前の職場では慢性期病棟に従事しており、スーパー救急病棟に従事するのは初めてになります。スーパー救急病棟では3か月以内の退院を目指していきますが、作業療法士が実際に関わる期間は実質3か月もありません。短い入院期間での患者様との関係性やかかわり方の違い、患者様の入れ替わるスピード感に慣れず、不安や戸惑いが多くありましたが、たくさんの方に支えられながら日々頑張れています。院内には経験豊かで、それぞれの専門性や強みをもった多職種の方々が多く働いています。日々の関わりの中で悩んだ際には多角的な視点で的確なアドバイスをいただき、非常に勉強になります。また、自身の興味ある分野が院内に普及していない中でもたくさんの方々が興味をもち、その分野の研修会や勉強会を勧めてくださります。当院は業務のフォロー体制がしっかりしているだけでなく、自身が目指す作業療法士像を把握し、応援してくれる体制が整っています。新しいことを挑戦したい、もっと勉強してみたい人にとって、共和病院はとてもよい環境だと思います。これからも自身の技術を磨き、患者様や他職種に還元できるよう頑張りたいと思います。

圡田悠登

圡田 悠登

私は新卒で入職して3年目を迎える作業療法士です。学生の頃はコロナ禍であり、思うように実習などもできずに入職を迎え不安がありました。しかし、作業療法士の先輩方や病棟のスタッフが温かく迎え入れてくれました。また、当院の新人研修では、いろいろな職種や委員会の話があり、共和病院のことをさらに深く知ることができ、不安が徐々になくなっていきました。1年目は急性期と慢性期どちらも経験させていただき、急性期病棟や慢性期病棟の違いや難しさなど多くのことを学ぶことができました。その中で「フレッシュな考え方も必要だからね」「新しい風を吹かしてね」などの声をかけていただき、自分のやりたいと思ったことを相談し、尊重していただける環境が整っていました。私は夏祭りのレクリエーションで、患者様により夏祭りを感じていただきたいと思いました。そこで、無茶であるかもしれないと思いつつ、先輩に屋台を作りたいと相談しました。すると、たくさんの時間を作ってくださり、自分の想像以上の屋台を作ることができました。2年目からは慢性期病棟の主担当に任命していただきました。作業療法士はなかなか馴染みが少ない職業だと思います。しかし、私のいる慢性期病棟では、作業療法士という職業を理解しようとしてくださる方ばかりで、作業療法士としての意見を尊重してくださり、看護師やPSWから「この方、作業療法どうですか?」と声をかけてくださることもあります。また、私が病棟でレクリエーションを提案すると、準備の段階から看護師やPSWが協力してくださり、作業療法士だけでなく、病棟全体でレクリエーションを作り上げていきます。病棟長自らギターの演奏をしてくださることもあります。私は、これらの意識が作業療法場面での患者様の笑顔に多く繋がっているんだなと日々感じています。

長嶺匠

長嶺 匠

私はデイケアセンターに作業療法士として入職して3年目を迎えます。新卒で入職した事もあり、最初は何をすれば良いのか分からず、とりあえずデイケアのホールで利用者さん達と、長くお喋りをしていました。そんな何をやれば良いのか迷走している私に、上司や先輩方が、「やりたいことをやりなさい、手伝うから」と、優しく声をかけてくださり、新しいプログラムの立案や、研究発表など、様々なことに挑戦できました。どれも私ひとりの力ではやりきる事が難しい事だったのですが、優しい先輩方に恵まれたおかげで、いろいろな経験を積めていると思います。これからも自分のスキルを磨き、質の良い医療を提供できる作業療法士を目指していきたいです。

理学療法士・言語聴覚士

中垣 里枝 【言語聴覚療法士】

「世界一のアイスクリーム(涙)!」嚥下訓練用のアイスを食べた患者様の一言。大げさな台詞と思われるかもしれません。でも、これが半年ぶりに口にする食べ物だとしたらどうでしょう。またある時の失語症訓練では、「犬、いや、猫・・・分かるんですけど、うーん・・」カードに描かれた動物の名前を言おうと汗をかきかき。こちらも祈るような気持ちです、そのひとことを言えることが、この方の自信と喜びになるから。こんな場面が私の仕事ではときおりみられます。言語聴覚士は、病院や通所及び在宅への訪問にて、食べること、話すこと、聴くことに障害を持つ方の訓練や助言を行なう仕事です。むせて食べにくい、失語症や構音障害でコミュニケーションがとりづらいといった障害は、当人の困難の程度が周囲に伝わりにくく、時に見過ごされることがあります。自他共に認める食いしん坊でお喋り好きの私は、この障害がもたらす辛さや孤独感を誰よりも身近に感じ、リハビリの場が少しホッとできる空間にもなるよう日々心がけています。

深見 重夫 【理学療法士】

武道と私
私が取得している資格の中で履歴書に書いたことがなく、人にもあまり話したことがない資格があります。空手道八級審査で頂いたものです。はちきゅう??=初心者=弱っちい、というイメージは実体をまさに表したものであり、わざわざ公言するまでもないことです。しかし、私には思い入れのある資格です。武道を始めたのは、27歳の時でした。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、当時もやもやしていた気持ちを吹き飛ばし、男は剣の道=剣道だという妄想をかきたてました。10年間、立っているだけなら全日本クラス?と揶揄されながらも、四段を目指すところまで続きました。月日は流れ、再び転機が訪れました。かまけていた仕事がどうにもうまくいかない47歳。いつかはやってみたいと思っていた空手を始めました。小学生が数人と先生という小さな道場でした。初日、小学生の一人が私を横目でちらっと見て「白帯!」と小声で言いました。いつの日にか、どこかで・・・と私は密かに誓いました(笑)。しばらくすると当面の目標であった小学生たちはやめて稽古は先生と二人っきりになってしまいました。先生は熱心に教えてくださいました。上段蹴りができるようになりたいと購入した開脚器はまさに拷問用の器具でした。汗と鼻水と痛みの2年間の思い出が八級の免状に詰まっています。人生はいつからでも始められる。力がないならないなりに、身体を使うことで前へ進める。武道との出会いは、55歳で理学療法士になるという目標につながっていきました。現在は、多くの方々に支えられながら仕事ができる日々を感謝の気持ちで過ごしています。